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 ホームシアターへの道 


目次

1、ひとつの夢


1,ひとつの夢

 自分の部屋を映画館に。こんな夢を20年ほど前に持った。

今でも思い出す。社員旅行でスキーに行ったときだ。信州は五竜遠見というスキー場のペンションに3泊ほど宿泊した。あのころは日本のミレニアム時代、まさにバブルが膨らんでいったころだ。レジャーといえば海外旅行かスキーツアーだった。車に分譲し、途中のドライブインでフランクフルトを食いつつアーケードゲームに興じる。それが夜中の1時や2時である。こうして夜通し走って、朝にはペンションに着く。荷物を預かってもらい、1日ゲレンデで遊ぶのだ。グループの単位が今と違い、8人〜10人を超えていた。まさに輝くようなバブリーなレジャー。40代後半の世代はあのミレニアムを決して忘れることはできない。

その時泊まったペンションのオーナーが、オーディオ・ビデオマニアであった。JBLのばかでかい自作スピーカーとサラウンドシステム、そして60インチの内蔵プロジェクター。レーザーデスクで見たイージーライダーは最高にハイであった。ついでにホラーのデェーモンズも本当に怖かった。まさに映画館を部屋に作ったのだ。

私は人生にひとつの夢を持つことができた。いつかはぼくも自分の部屋に映画館を作ろう!

わたしは、もともと都会へ流れてきた故郷喪失者であり、借家住まいしか知らなかったが、勤勉な両親と質素な生活様式によってついに30代にして持ち家を手にした。

ところで私のお嫁ちゃんは、あのペンションに一緒に行った仕事仲間であった。結婚前に二人でいろいろな夢を語り合ったが、その中のひとつにもちろんホームシアターがあった。ぼくのお嫁ちゃんの夢は、われわれの子どもがグランドピアノを弾けるようなそんな家庭だった。まさにバブルな時代だったのだ。

もともと私が20代のころはオーディオブームであり、CDが発明され世の中はデジタル時代に突入していた。私も、スピーカーを何本も買いそろえ、アンプも何台か集めていた。ドルビーサラウンドシステムが完成したのもこのころだ。狭い部屋でも、20インチぐらいのテレビでサラウンド映画を満喫することはできた。しかし、あのペンションでの迫力には及びもしない。

結婚して数年後、狭いアパート暮らしから、持ち家を手にして広い生活空間を手にした。親との同居ということで、建物は鉄筋、遮音に優れた構造体を持つことが前提となった。その時に自分の部屋10畳を確保して、防音施設を施した。防音は、改築する場合は莫大な予算がかかるが、新築の場合はプラス100万以内でそこそこできるものだ。

私は今まで買い揃えたスピーカーやアンプを持ち込み、すでに底値となっていた37インチのテレビを第2アメ横の2階で購入して(その店は今は廃業してしまった)ホームシアターを実現した。しかし、あのペンションの迫力にはまだ程遠い。やはり、投影型プロジェクターが必要だ。しかしその当時は、レンズを使った3管式のものしかなく、それは最低でも200万を超えるものである。液晶式のプロジェクターも出始めたが20万画素程度でとても見られたものではなかった。

さらに、15年の歳月が必要であった。そして200310月ついに、三洋と松下から家庭用液晶プロジェクターの普及機が実勢価格17万ほどで販売されるに至ったのだ。ついに私のホームシアターの実現が可能となった。


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